近年よく耳にする「毒親」という言葉、あなたはご存じですか?
私の母はどうやらこの毒親なのではないかと、最近気づき始めました。
毒親にも種類がありますが、我が母は過干渉型の毒親といえるでしょう。
このような過干渉な親は子どもの結婚後も干渉してくるのでしょうか?
この記事では、バツイチで再婚し第一子を設けるも離婚秒読みになった私の実話をお話しします。
私が母を「毒親なのでは?」と気づいたきっかけは、現在の夫との離婚調停に入るぐらいのタイミングです。
夫婦喧嘩の中で夫に言われた言葉を思い返しました。
喧嘩した当初は頭に来ていましたが、今毒親という言葉を知って思い返すと原因は母親にあったのでは?と思うようになりました。
- 言葉が強い
- 攻撃的な言葉を使う
- 俺の言うことを否定する前提で話している
- 俺のことを受け入れていない
もしかしてこれお母さんと一緒では…
もちろん、過干渉な母に対して「なんでそんなことを言うんだ」「もうやめてほしい」と思うことは10代の頃から多々ありました。
ところが、それは単に母が過保護でわがままで気が強いだけなんだと思っていたのです。
一般的な常識も感覚も持ち合わせていて、対外的には人がよさそうなふるまいをするので、根からずれている人だなんて考えもしませんでした。
だからちょっと度を越しているなと思ってもどうにかやっていくことしか頭になかったのです。
ところが、知らぬ間に私は母が私にしてきたことをそっくりそのまま夫にして嫌な思いをさせていたのです。
家族に対していつでも強気な態度を取り自分の意見に統制させようとする母と、自分の意見はすべて潰されるので自分の意志で動けない父を見て育っているのだから、私もそういう上下関係のある夫婦を目指そうとしてしまっていたのかなと反省しました。
そして何より、実家に同居して子育てしているので、一刻も早くこの負の連鎖を止めないといけないと思っています。
言葉を理解し話し始めた孫が、祖母のような言葉遣いにならないように私から変わるんだと決心しました。
子どもが結婚したとしても母が急に干渉しなくなるなんてことはありません。
過干渉な毒親というのは、本人は「子どものために」「失敗して傷つかないために」など、「子どもを想って言っている」という場合がほとんどで過干渉である自覚がありません。
私の母の場合は子どもだけでなく父に対しても過干渉で支配的な言動をするので、もはや干渉するのがスタンダードなのです。
母は基本的に外部の者を受け入れません。
つまり、子どもが結婚してもその配偶者や義理両親を受け入れようという気持ちも端からないのです。
私が少し家庭のことを話そうもんなら旦那に対して文句を言ってきます。
「あんたの旦那はだからだめなんよ!」「は?そんなことも知らないの?」というように蔑む言葉もよく言われました。
ちょっと旦那の愚痴をこぼしただけで、普通はそこまで非難しませんよね。
ところが毒親はまず自分以外の人を褒めないし認めません。
さらに悪質なことに、母は人を否定したり卑下するような言葉もユーモアで言っているのだと思っています。
過干渉な母親に疲れるし限界!お互いが自立した関係性をつくる方法は?過干渉型の私の母は私の結婚後も実際にこのような言動をしてきました。
- 頻繁に連絡してくる
- 夫に有無を言わさず私との予定を決める
- 夫との旅行などの計画、感想に文句を言う
- 夫と喧嘩をしたら家に乗り込んでくる
- 喧嘩の仲裁に入っても自論を繰り広げる
嫌でも拒否できないし、意見や反論しようもんなら機嫌が悪くなります。
その処理に追われるのもまた私なので、結婚したとしても常に母の顔色を窺って生活するしかなかったのです。
きっと、夫もそんな私の態度は気に入らなかったと思います。
- 20代で初婚
- 入籍から約1年で夫が適応障害になる
- 精神疾患の原因が私だった
私は26歳の誕生日に一度目の結婚をしました。
入籍をした約1年後に結婚式を予定していたのですが、結婚式の1か月ほど前に急に夫が精神疾患を患いました。
私は半分自分の言動が発端だとわかりながらも、母に説明すると「仕事が原因でしょ」というので、そうなんだと無理やり思い込みました。
ところが、夫の通院に付き添うものの一緒に診察室には入れてもらえず。
精神的な問題だから家族と言えどプライバシーあるよね
しかし、その後夫の意向で夫は休職して実家にしばらく帰ることになりました。
収入が減るからパートを頑張ったら私も体調を崩したよ
原因が自分にあるかもしれないと思いつつも、夫が休職の間仕事を頑張ったり夫の会社の人と連絡を取ったりと、私自身も状況を改善するために努力をしました。
ところが、義両親が私に対してあたりが強いので何かおかしいと思い始めました。
そこで、通院に付き添った義母は診察室に入れてもらえていたということが判明しました。
つまり、夫の精神的不安定の原因は妻である私だったのです。
その詳細は分かりませんが、夫が通院を始めた前日の出来事が思い当たりました。
夫が学生時代の友人(私も知っている人)と飲みに行っているとき、熊本地震が発生したのです。
当時住んでいた福岡市でも震度4強を観測するなかなかの揺れでした。
夫が心配で連絡するも何時間も連絡がつかず。
連絡がついた挙句夫から出た言葉は「地下にいて電波が届かなかった」でした。
そこで私は「自分は夫を心配しているのに!」ということと「自分のことを心配してくれない」こと、「その後も2次会に行くかもしれないと言っていること」に腹を立てました。
今すぐ帰ってきて!!!他の人が二次会に行っても一緒に行ったらダメ!!!
まぁ、こんなどこの夫婦にでもありそうな会話なんですが…。
今思うとやはり頭ごなしに否定して自分の思うように仕向けようとする姿勢がよくなかったのでしょうね。
そして、おそらく日常的に私はそのような自分本位の言動を続けていたのだと思います。
結局、些細な出来事をきっかけに1年半ほどで夫から「離婚したい」と義父を通して伝えられ結婚生活にピリオドを打ちました。
- コロナ禍に31歳で再婚
- 結婚1年半後に第一子出産
- 夫婦喧嘩をきっかけに夫が心療内科にかかる
- 結婚から2年半で実質の別居を始める
一度目の離婚の後にフルタイムの事務職に就いたのですが、その職場で出会ったのが現在の夫です。
若手がほとんどいない職場でおじさんたちに可愛がられていました。
3年ほどの交際を経て結婚したのがコロナ禍の2020年です。
私が30歳を過ぎて「出産したいなら少しでも早く結婚しないと」という焦りから、結構カマをかけていました。
(思い返すと「出産するなら早く結婚」というのも母から刷り込みですね…)
夫は母子家庭で育ち、義母のことを大好きとか仲良しということはなかったものの「一人で育ててくれたから」という気持ちが強く義母に本心を見せないタイプでした。
それゆえ義母にはあまり反論しないし、結婚してからも私より義母をかばう言動が多くみられました。
- 夫と同棲している家に義母持ち込みの寝具が置きっぱなし
- 義母との初対面の会食にいとこの姉を2人同席させる
- 義母が初対面で私に身長体重を聞いてくる
- 私の支度が済んでいないのに義理親族を家に上げる
- 顔合わせに一人で行きたくないので兄(叔父)を同席させたいと言う
私も夫の言動に数々傷ついたり我慢することはありましたが、折り合いをつけたり諦めることで夫婦関係を維持するよう努めていました。
ところが、私が子どもを出産してから夫婦関係は悪化の一途をたどったのです。
出産時期が夫の仕事の繁忙期と重なり、帰宅が遅い毎日。
両親が通いで面倒を見に来てくれていましたが、私が一番に寄り添ってほしかったのは夫です。
細切れ睡眠で不安と体力は限界になる中、育児に前のめりなはずの夫の言動にプッツンとなってしまいました。
夜間にミルクで起きた娘のお世話をお願いしたところ
さすがにしんどいから無理!4時間は寝たい!
と言われました。
当時の私の睡眠時間は30分~1時間。
その時感情をあらわにしたいのをグッと堪えてお願いをしました。
疲れてるのはお互い様だから言い方はお互い気をつけようね
そうするとなぜか夫の怒りがプッツン。
俺は今日倒れそうだったんだぞ!
どっちが大変か論争に発展してしまいました。
ここからもう私の怒りは止まらなったのです。
他を受け入れない母の元育ちましたから、「言われたら言い返す」の繰り返しでした。
話し合いをしても夫は全然理解してくれないし会話が成立しない。
一度話し合いをすると3~4時間は平気で潰れてなんの有益な議論も交わされないまま終わっていました。
こんなことを母に相談すると、もちろん夫批判が始まります。
そして、産後の精神不安定な時期の私は母に同調して夫のことを「ろくでもない」「どんくさい」「いない方がマシ」と思うようになっていきました。
そうなったら思考は「夫は役立たず」モード一直線です。
話の通じない夫にイライラするたびに語気が強くなり、母に言われたことをコピペするように夫にぶつける日々です。
当時は圧倒的に夫がわからずやで悪いと思っていましたし、「私はもともと気が強いから」と母のような自論を振りかざしていました。
娘が1歳を迎える前から実質の別居(実家への居候)が始まり、今年の3月に夫の転勤(引越しは必要ない)をきっかけに一方的に「別居に変わりはないなら引っ越すから」と告げられ家を追い出されてしまいました。
そして今生活費ももらえずに、離婚調停中です。(夫が離婚調停を申し立てました)
夫の扶養に入ったままで多く働けないために私の微々たるパート代で食費だけ払って実家に居候を続けているのです。
周りを見ていると、旦那に暴言を吐いている人なんて五万といます…
私よりはるかに激しい人も職場だけでも数人います。
なんで私だけ幸せになれないんだろう…
自分が男を見る目がないとか、とにかく自分を反省するばかりでしたが、今となっては育った環境も大きく影響しているんだろうと冷静に考えることができるようになりました。
子どもに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいですが、少なくとも私が幸せになることがまず子どものためだと前向きに考えることにしました!
毒親育ちは幸せになれないのでしょうか?
結論から言うと決してそんなことはありません!
私には二人の兄がいますが、二人はそれぞれ母と距離を取ることで現在は幸せに生活をしています。
母から独立した環境を作ることが、幸せになる第一歩なんですね^^
私と同じ親に育てられた兄たちの実例で考えてみよう!
長男は母の言動をめぐって喧嘩となり、どれだけ話しても自分は悪くないと主張する母に愛想をつかしました。
そして最終的に家族もろとも絶縁状態となったのです。
私たち兄弟や父も説得を試みましたが、おそらくあの母のような毒親をかばった私たち家族のことも受け入れられなくなったのでしょう。
近くに住んでいるため見かけることがあるのですが、奥さんと娘と今も家族関係がちゃんと続いているようです。
妹からすると、手のやける母親のことを放棄して自分だけ開放されたことを許せませんが、幸せになるためには賢明な判断だったのかなとも思います…。
つまり、長男は幸せになっています!
次男は結婚→離婚を経て、今は地元を離れて南国でのびのびと仕事をしながら独身生活を満喫しています。
こちらに出張があるときは必ず母に連絡をして会える都合をつけるように意識しているようです。
長男の絶縁をきっかけに、節目節目での連絡をするようになり誕生日や母の日父の日には欠かさずプレゼントを贈るなど、いい距離間を保ちながらうまく両親と付き合っています!
1年に1度は母を自分のところに呼んでいて、母のご機嫌取りを欠かさないあたり次男らしいふるまい方だなと思います。
今後再婚するかどうかは本人の口から聞きませんが、現在は自分の意志で転職した会社でうまくやっているし土地もいいようでとても楽しそうで、次男も幸せになっています!
親が過干渉で母の言うとおりにばかり行動してはいけないと気付いた時から、自立への道は拓けるのだと思います!
今現在は幸せと言える状況ではありませんが、未来のロードマップを描いて行動をしていく予定です^^
- 離婚問題を解決
- 安定した就職先を探す
- 娘と二人暮らしを始める
「母はこういう人だから自分がそれを理解して機嫌を損ねないように…」
と生きていくのではなく、
「母はこういう人だけど、私の人生を生きるために母に必要なことを伝えてお互いに自立しよう!」
という考え方になりました☆
調停・就職・シングルマザー・毒親と同居、と悩みを抱えまくっているので心身ともに本当にしんどいです。
我が子は可愛いけれど、しっかり向き合ってあげる時間も少なくほとんど祖父母に任せています。
幼稚園にも通い始めてますます我が子と過ごす時間が少なくなる中で、だんだん娘の中でばあばの存在が大きくなってしまうのではないかと懸念もあります。
私はきょうだいで唯一の女の子なので、母から受ける重圧も兄二人とは違います。
兄のことはある程度放任して諦められる母でも、「母娘は切っても切れない」と思っているので、私への執着は相当なものです。
でも、娘のためにも私は自立した母親になりたいので、必ず母との距離感を克服して兄たちのように幸せになります♡
そうして、家族のだれも我慢しない、みんなが自分の人生を楽しめる関係性を作れることが一番の幸せだなと思います♪
この記事では毒親が子どもの結婚後にも干渉するのかどうか体験談をお伝えしました。
- 毒親は結婚後も干渉してくる
- 親の干渉が結婚生活に影響する
- 毒親育ちでも幸せになれる
過干渉な親の元に育っても、自分の親がそうだと気付いた時点から自分の人生を変えることはできます!
私もまだ気づいたばかりですが、可愛い娘の将来のためにもしっかりと自立した一人の人間として幸せになろうと思います♡
自分の人生は自分だけのものですからね!