バレーボール男子日本代表の西田有志選手はイケメンとしても話題になっていますよね。
その身体能力の高さにも注目が集まっていますが、なんとご両親はバレーボールではなくバスケットボールの選手だったのです。
この記事では、西田有志選手の生い立ちや、両親がバスケットボール選手でスパルタに育ったのかについてまとめます!
西田有志選手の生い立ちについてまとめます。
・父(徳美さん)
・母(美保さん)
・姉(早希さん:8歳上)
・兄(圭吾さん:6歳上)
・有志さん
歳の離れたきょうだい
西田有志選手には8歳上の姉と6歳上の兄がいます。
年が離れていて、西田有志選手を出産した頃には母の美保さんが30歳を超えていたこともあり体力的にもきつく、比較的自由に育てられたようです。
上の2人のきょうだいはお母さんから叩かれたりしていたようですが、すぐに泣いてしまう有志さんはあまり叩かれることもなく奔放に過ごしました。
そんな中きょうだい3人に共通して母の美保さんが叩き込んできたのは、挨拶をすることや目上の人には敬語を使うなど、当たり前のことでした。
真面目な父
西田有志選手の父・徳美さんはとてもまじめな方です。
多くは語らない方ですが、小学生時代に西田有志選手が出場した試合の記録はスマートフォンにすべて記録して保存しているそうです。
肝っ玉の母
西田有志選手の母・美保さんは肝っ玉母ちゃんで根気強く子供3人を育ててきました。
2人のきょうだいに比べて自由に育った西田有志選手は、年を重ねるとやんちゃになっていきました。
中学校に上がり、周りの子たちとバレーボールのレベルが違うことにストレスを感じ始めた西田有志選手は次第に悪いことをする人たちに刺激を受けるようになりました。
「バイクに乗りたい」「タバコを吸いたい」
そんな西田有志選手に母・美保さんは、
「吸いたいなら吸え、その代わり先にお母さんが吸う」
といって、吸えないたばこを吸ってむせる姿などを西田有志選手に見せたそうです。
その姿を見た西田有志選手はたばこを始めることはありませんでした。
決して否定しないけれど、自分でいいこと悪いことを判断させるという母の愛を感じますよね。
西田有志選手のご両親は、ともに東芝名古屋工場に勤務しバスケットボールチーム「東芝名古屋」に所属していました。
子供たちにバスケットボールをさせると口を出してしまうかもしれないということで、3人の子供はバスケットボールではなくバレーボールを始めました。
スポーツをしていたご両親は同じ競技を子どもにさせる場合も多いですが、子どもたちのことを想って、競技ではなくチームの姿勢で習い事を決めたあたりも素敵ですよね。
西田有志選手のご両親は、スパルタに教えていたというわけではないようです。
ただし、礼儀などは厳しく教え込んでいました。
それでも兄を「圭吾」と呼び捨てにしたり目上の人にため口を使う姿にヒヤヒヤしたことはあったと語られています。
また、どんなにやんちゃしていてもバレーボールだけは一生懸命取り組んでいたという西田有志選手をご両親は全力でサポートされていました。
西田選手が小学生の時、選抜メンバーの選考時に両親の身長を書く欄があったといいます。
バレーボールは身長がものをいうと思われて、両親の身長が大きくないことで選考で落選したのです。
この結果を受けて、西田選手は大きい選手に負けないジャンプ力を培うために、橋の下で高さ2.6メートルを目指してジャンプする練習を繰り返していたそうです。
その甲斐もあって、現在身長186センチメートルの西田有志選手の最高到達地点は346センチメートルです。
ご両親は決してスパルタではなく、温かく熱心に西田有志選手の競技のサポートをされていたのですね。
母の美保さんは明るい笑顔で、父の徳美さんは優しい微笑みがとても印象的で素敵なご両親です。
西田有志選手の生い立ちや、両親がバスケットボール選手でスパルタに育ったのかについてまとめました。
・両親は元バスケットボール選手
・やんちゃに育った
・バレーボールだけは熱心だった
やんちゃで奔放に育ちながらも、5歳から一つの競技に打ち込んで日本代表選手となった西田有志選手。
ご両親のサポートの仕方がとても素敵ですよね。
同じ子を持つ親としても、このような育て方をするのは難しいと感じます。
素晴らしい家族に囲まれて才能を努力でつかみ取った西田有志選手。
パリオリンピックでも注目したいですね♪